伝教(デンキョウ)大師の誕生
日本天台宗の基礎をつくったとされる伝教(デンキョウ)大師-最澄は、神護景雲元年に、現在の滋賀県の坂本、当時の近江国滋賀郡にあった琵琶湖西岸の三津というところで、三津首百枝(みつのおびとももえ)子供として誕生しました。長男でした。幼名は、広野(ひろの)と呼ばれていました。
これは、今から約1200年くらい前の話になります。その当時、滋賀県大津市坂本の周辺を統治していたのが、三津首百枝(みつのおびとももえ)でした。
百枝は子どもに恵まれなかったため、神宮禅院(日吉大社)に籠もって、子供を授けてもらえるように、願掛けをしたといわれています。
そして、将来、伝教(デンキョウ)大師となられる男の子が誕生することになります。神護景雲元年(767年)は、8月18日のことでした。幼名を広野(ひろの)と名付けられましたこの男の子こそ、比叡山に登って、天台宗を開くことになった最澄-伝教(デンキョウ)大師だったわけですね。
伝教(デンキョウ)大師が、生まれたとされる場所は、現在で言えば、門前町坂本にある生源寺であったと言い伝えられています。この伝教(デンキョウ)大師の誕生日になれば、老若男女を問わず集って盛大にお祭りが行われています。
そして、この近いところには、幼少期を過ごしてきたと言われている紅染寺趾、産湯に用いられた竈を埋めていると言われる場所があります。
